ラブラン寺/拉卜楞寺

 ラブラン寺はゲルク派(黄帽派)六大寺院の一つ、青海省のタール寺と並ぶ、アムド地方のチベット圏の中心となった、お寺創建について話をしましょう。

 

ラブラン寺 貢唐宝塔(真ん中に) 撮影青海中国青年旅行社

 

 ジャムヤン・ジェパ活仏一世(嘉木様大師)はチベット暦第十一回土鼠年(1648)正月八日に甘粛省夏河県甘加灘(ガンジャ草原)の当譲徳查頂に生まれた。父の名はカボンカ、母の名はタレョン、大師の本名は阿旺宗哲。大師は幼い頃から賢くてよく勉強し、7歳で伯父に従って経を学び、13歳で沙溝寺に僧となり、沙弥戒を授け、ロサンジャンザン法名を取った。21歳の時、彼はチベット学法を志し、デプン(哲蚌寺)のゴマンザツァン(郭芒扎倉)で法を学び、25歳の時にカギュ派(噶挙)の学位を取得し、27歳の時に五世ダライラマから比丘戒を付与、31歳でラサ続部上院で密教の研究より卒業し、33歳の時、ガェプン聖山で修行し、ジャムヤン・ヤツェドォジェ(嘉木様雅欠多吉)、妙音笑金剛の雅称を得た。

 

 大師53歳の時、六世ダライラマはゴマンザツァン僧衆の要請に応じて、デポン(哲蚌寺)ゴマンザツァンカンブ(総法台)の職に就任し、60歳になるまで8年間再任した。

 

 大師はゴマンザツァンのカンブを務めていた間、僧侶に五部大論(『因明』『般若』『中観』『倶舎』『律学』)の精義を伝授し、『五部宗教哲学弁論注釈』を著し、この著作はグルク派の各寺院の学経となり、講学の教材となり、ツォンカパ後の第一人者の美名を持っていた。

 

ラブラン寺 撮影青海中国青年旅行社

 

 ラブラン寺を造る縁起と、当時のモンゴル族の西北を統治力と関係がある。当時、碩特部親王ツァハンダンジンは宗教の信仰と自分の勢力を拡大ために、グルク派寺院グループの支持を待つことを切に望んでいた。親王は自分が出資して寺を建てることを決定し、1701年にラサにジャムヤン大師を迎えに人を派遣したが、当時大師は承諾しなかった。1708年に再び派遣してで迎えに行ったときやっと承諾して、故郷に戻りました。

 

 1709年、チベット暦土牛年、ツォンカパ系の寺院ガンデン(甘丹寺)三百周年記念日、大師の遺弟子は吉祥長浄行事を行い、ラブラン寺の創建として始まった。翌年、大師は弟子を率いて倉オオンザシ、徳瓦倉羅桑敦珠など多くの人と河南モンゴル旗親王夫妻、僧侶百人を率いて多くの場所からを建寺の場所を探した。422日、この規模の小さくないチームが大夏川沿いのザシ旗灘に来た時、しかしこの山川が霊秀で、大夏の川の水は西から東へ流れて、右旋法螺のようで、瑞祥はすべて備えています。ここに寺を建てることにした。大師親卑弟予は盛大な建寺の礎式を行った。同年7月、河南モンゴル旗親王から贈呈された800人収容可能な四角形フェルトの大きいテント中で読経伝法、様々な宗教活動を展開した。

 

ラブラン寺 撮影青海中国青年旅行社

 

 1711年初めにまずテサンリン(即闻思学院)が立てられた、これは80本柱の大殿で、千人以上のお坊さんが同時にお経を読むことができる。

 

 1716年の朝、マンバザツァン(续部下院)が建てられた。本殿は東西5,南北11間である.他にもいくつかの建物があります。

 

 当時は規模は大きくなかったが、その後の発展に基礎を築き、ジャムヤン活仏転生システムスの形成に物質的な条件を用意した。

 

 大師はまた寺院の学経制度定めた、聞思学院はデボン寺の規則に従って行って、五部大論を学んで、13学級に分けます。続部下院は密宗学院であり、僧に「密宗道次第広論」に示す方向に従い、一定のプログラムに従って现修と结び付け、证を求めなければならないと要求した。

 

 寺の管理においても、大師は一連の措置を取った。ジャムヤン拉章組織の雛形を形成し、教務を管理し、内務を管理し、日常生活を担当日常の他の事務を担当などの組織体制引き続きなどからなる管理体系に進化した、戒律厳しいからたくさんの信者がいます。

 

ラブラン寺お正月晒大仏 撮影青海中国青年旅行社

 

 ジャムヤン大師は五明を学んだ大班智達で、一生の著作物が豊富です。大師の伝記資料によると、主に「因明疎」、「因明検討」、「現荘厳論の検討」、「入中論の検討」、「倶舎論疎」、「宗派綱目」、「宗派綱目詳細釈」、「仏暦表」などがある。

 

 大師が一生に育成した生徒も多く、その中にはチベット王ポロ、二世土観、第七世ダライラマの経師貢唐倉一世が彭措、昌都パバラ仏などの有名な高僧が少なくない。

 

ラブラン寺お正月の晒大仏 撮影青海中国青年旅行社

 

 ジャムヤン一世はこのように一生奮闘し、清王室の冊封と他の権威者の賜号を受けた。1720(康熙五十九年)、康熙帝は彼に「扶法禅師班智達額爾徳尼诺門罕」の称号と金印鑑を授与し、黄羽織を着ることを許可した。1711年、拉蔵汗立の第6世ダライラマは巨匠「郭芒領爾徳尼诺門罕」の封号と傘の蓋などを授与した。

 

 大師は西暦1721(康熙60)の旧暦2日の初め5日にラブラン寺で転生し、世七十四年の歴。

ラブラン寺は370年の歴史をたて名実ともにチベット仏教大学院で、戒律厳しくチベット仏教大学院、また「世界チベット学府」とも言われています、最盛期には4000人の学僧がここで学んだと言われる、寺院総面積は86万平方メートル、六つ学院や大金瓦殿を中心にとする八大仏殿、ジャムヤン仏殿僧房などが建ち並ぶ。

チベット旧暦113――16日モンラム(毛蘭姆大法要)、チャム(仮面踊り)また大タンカの開帳を開催されています、夏には問答の修行も見えます。

 

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